昭和44年3月30日 夜の御理解
中村良一
信心がない人達の間に、良く聞くことですけれども。何か、不幸な事があると、あったりすると、縁起直しでもやるかと言うてその、一杯その、呑もうといったような宴を設けたりします。または、不幸なんかに合いますと、精進揚げと言うのをやります。それを、その例えば、早くですね。もう、亡くなったらもう、その後で、直ぐ精進揚げをやろうと言うような事を致しますが。これは、一つの気分転換ですね。じめじめした気分ではいけない。どうも、良くないことが起こるから、縁起を一つ、直せ、縁起直しを一杯やろうといった様な事。これは、大変大事なことだと思う。信心も、やはり、そういうような気持ちが、何時も必要である。何時も、これは、以前に頂いた御理解の中に、何時もがこの、赤飯を炊いて祝うような心とこう仰る。ね。小豆ご飯でも炊くと言うのは、誕生日とか、何か、目出度いとかという時に、赤飯、そして尾頭付きといったようにして祝う。その気分がおかげ頂くのである。いつもが、赤飯炊いて祝うような心。
今日はあの、恵子さんが、ご主人が亡くなられて、初めて御礼に出てきた。恵子さんが来とると言うけど、もう、私は、とっさに、会う気分がしなかった。どんな顔してるだろうかと思うもんですから。それでも、やっぱり、どうしても会わなきゃなりませんから、会ったんですけれども。案外、元気でおるので安心しました。それで、私も、そのまぁ、話したことですけれどもね。もう、あの人達が結婚して、二年三ヶ月とかと言ってましたけれども。本当にまだ、主人の良いところだけしか、お互い、身に付かないと言う様な、僅かな夫婦生活で、そして、ご主人と別れなければならんと言うのであるから、けれども、やはりあの、ご信心させていただいておるから、そういう中にも、おかげを受けておるということを感じておる。それは、例えていうと、人間の運命というものは、どうにもその、避けがたいものがある。私の家のお婆ちゃん達の様に、それこそ、あなた百まで、わしゃ九十九までと言ったように、ともに白髪の生えるまで、添い遂げようことが出来られるだろうと言うように、健康な、何十年間の夫婦生活を、まぁ、楽しいことだけじゃない、辛い苦しいを共にして、今日まで、おかげ受けておる人があるかと思うと、家の妹のように、ちょうどね、康子が、一年と、ちょっとだったでしょうか。ぐらいの短い結婚生活で、主人と別れたと言う人もある。けれどもね、信心で、おかげを受けていくという事は、そこまでは、これは、誰でもが受けなければならないものなんだ。雨は雨、風は風、受けなければならんけれども、その受けた、その後の、その心構えが、日頃の信心で、物言わせるんだ。そこが、例えていうならばです。その事は悲しい事なんだけれども、ね。その、悲しいことに、じめじめしておらんで、自分の心のなかに、それが、段々、それこそ、主人が亡くなったことを、赤飯炊いて祝うなんていう者は、おりはしまいけれども、ね。そこから、一つ、本気で信心に取り組ませて頂く。本気でやるぞという元気な心がです。私は、赤飯炊いて祝うような心になる。そこから、今度は、新たな運命が展開してくる。あちらのご主人が亡くなられた、亡くなられる。事故に会われたという、その翌日、お願いさせていただいておって、テレビのドラマに、おはなはんと言うのがありよりますね。あの人のことを頂いてから。どんなことか分からなかったけれども、今にして思うと、ははぁ、千恵子さんと言う人は、おはなさんのように、まぁ、様な朗らかな、大体感じの娘さん時代から、そういう勝気な、そういう人でしたけれど、ね。本当にあの、お花さん精神で、これから残された一人の子供を抱えてではあるけれども、元気な心で、生き生きと、まぁ、世の荒波に戦い抜いていく、しかも信心を杖に、神様をバックにしていくことであろう。
例えばあの、お花さんの、一生の中に、じめじめしたといったような、どんな場合でもない。へこたれておるという事がない。それで、あの沢山の孫に囲まれて、一生終わられるまで、ね。いわば、かえって、主人のある人よりも、むしろむしろ幸せに過ごしたというようなテーマだったと思うのだけれどもですね。そういうようなおかげを頂いていかねばならんと言う様な事を、今日は、お話したことでございますけれども。これは、私共の身の上にだって同じこと。様々な場合、様々な時にです、ね。その事を、いわば、信心のない人達が言う、ね。縁起直しとかね。精進揚げとか。そこからです、いわば、違った、明るい運命を期待して、そういう事をするようにです。信心でも、そこんところがです。信心でそれがなされるおかげ。信心で、自分の心が、明るいほうへ有難いほうへ切り替えられるおかげと言うか、そういう心のお繰り合わせを願わなければならん。その心のお繰り合わせを頂く、そこからです、ね。有難いと思う心に、有難いという事が起きてくる。喜びで開けた道だから、喜びでは苦労はさせんと仰るような運命が展開してくる。そういうおかげを受けて行けれるという事が、私は、信心だと私は思う、ね。縁起直しとか、精進揚げをしなくとも、それより、もっともっと有難い、奥の深い意味合いにおいての心の切り替えが出来れるところに、信心があると思うですね。どうぞ。